家庭でのコーラーは、結婚生活をぎりぎり生きながらえさせるために、傘が白くなるまで手を握りしめて夫婦関係をがまんしていた。 結婚指導カウンセリングにかよい、一軒家を借り、ダイビング器材をしまいこんだ。
なのに、夫婦のいさかいは険悪になるいっぽうだった。 一九九五年初春、彼はフェリシアに三一ページにおよぶ手紙を書いて、結婚のきずなを断ち切り、衣類やその他私物をへフティ社製の頑丈なゴミ袋一二枚に詰めて、ペンシルベニア州レビームーゲルットタウンに住む友人のアパートにころがりこんだ。
家庭を修復するのに費用がかかったため、彼の財政状態は破産寸前だった。 二、三カ月は、ぎり、ぎりの生活を送り、友人のアパートを出られるだけの経済状態に戻す努力をしながら、五歳の息子と二歳の娘に、ハパは立派にやっていると信じてもらえるように、毎週末に子どもたちの面倒を見た。
それが数カ月間つづいた。 一九九五年の七月に、コーラーは子どもたちの養育権を引き継いだ。
彼は狂喜した。 不動産仲介入に連絡して、彼の屈があるニュージャージー州トレントンから半径四0キロ以内で最優秀の学区内にある家をさがした。
二週間後、コーラーと子どもたちは、ペンシルベニア州ヤードリーのタウンハウスに引っ越した。 彼は、住みこみの家事手伝いを雇い、子どもたちの入学手続きをし、家のインテリアを飾るための資金をかき集め、家族のルールをさだめた。
ニュージャージー州の反対側では、悪天候にたたられたチャタトンは、〈Uーwho〉に一度きりからてしか行けなかった。 一九九四年とおなじく、彼はなんの構想もなくUボートに潜り、空手であがってきた。
Uボートの厚い壁にはばまれた彼は、持てるすべての創造力を、その前の年に行なった探求ー歴史に刻まれてはいるが、まだ見つかっていない多数の沈没船の発見ーについやした。 チャタトンは、第一次世界大戦中にUボートの砲撃により沈没した定期旅客汽船〈カロライナ〉の調査に精力をそそいだ。

東海岸のレック・ダイパーにとって、〈カロライナ〉以上にすばらしいポイントはなかった。 陸地から一00キロ沖で〈Uー151〉がその船を沈める前に、旅客一九七名と乗組員一一七名が救命ボートに乗り移るよう命じられたという、優美な船である。
夜間、救命ボートが転覆して一三名が溺死した。 数十年間、ダイパーたちは〈カロライナ〉をきがしてきたが、努力はむくわれなかった。
そしてその船は、ニューヨークニュージャージー海域で未発見のまま残った唯一の客船となった。 チャタトンはシーズンオフの時聞を利用して、ドイツ語の記録を翻訳して研究し、造船所の記録保管人の話を聞き、船長日誌をじっくりと読み、七七年前の天気図を調べた。
そのあと調査全体をまとめて、ある構想を組み立てた。 彼の予想した〈カロライナ〉の沈没海域は、だれもが思いつきもしなかった位置だった。
第一回のツアーで、チャタトンは沈没船を発見した。 扇状船尾にくっついていたイソギンチャクを取りのぞいた。
調査により、そこに船名が記されていることがわかっていた。 真銭でできた文牢が見えはじめた。

北東部のレック・ダイパーが数十年間恋こがれてきた〈カロライナ〉という大物を、彼はたった一日で発見し、船名を確認したのだ。 それから二、三週間して、チャタトンは、〈テクセル〉と思われる沈没船に潜りに行くことになった。
やはり第一次世界大戦中にUボートに沈められた船である。 チャタトンは、〈テクセル〉の写真と船内見取り図を研究し、それにもと守ついて計画を練った。
船首部分へ行って、船体に書かれた船名のそばにあったと思われる、たとえば舷窓などの手がかりをさがすのだ。 伝説的ダイバーのゲイリー-ジエンタイルは、船首はめちゃめちゃに破壊されているから船名は残っていないだろうと断言した。
ともかくチャタトンは行ってみた。 そして真織の文字を発見した。
〈テクセル〉と読めた。 一年のシーズンのうちに、チャタトンは、計四隻の沈没船を発見し、船名を確認したのである。
彼を、世界最高のレック・ダイバーと呼ぶものが出てきた。 彼はますます落ちこんだ。
チャタトンは、艦名確認に以前の二倍の力をそそいだ。 むだだった。
ほかの沈没船なら、頭のなかにつぎからつぎへとアイデアが湧いてきた。 彼がどんな構想を描こうとも、発見を約束する想像力と忍耐と展望とがモザイクのように集まった。

ところが〈UWho〉だけはそうはいかなかった。 ダイバーの大会に出席して、〈ルシタニア〉か〈カロライナ〉か最近の成果について講演してくれとたのまれるのはよいのだが、決まってUボートのことを訊かれる。
その話題はあまりに気が重いため、とうとう彼は大会に出席するのをやめてしまった。 ダイバーになってはじめて、チャタトンは、時を刻む時計の音を耳に留めた。
四三歳になったいま、あしもと彼の半分の年齢のスポーツマンなど足下にもおよばない古参の指導者となっていた。 〈UWho〉を探検したがるダイバーは、もうだれもいなかった。
もしもいまチャタトンが減圧症になったり、自動車事故で骨折したり、ガンが見つかったりすれば、潜水艦の艦名は永遠にわからないままだろう。 そんなとき、無頓着と息惰の虫が高らかな足音を立ててやってきて、あの沈没船の艦名は〈U1869〉で決まりだと告げる。
「われわれはそれをほぼ確信している」と宣言する悩む芸術家にとっては悪夢のようなことばだ。 とはいえチャタトンは、つぎになにをすればいいのかわからなかった。
夜な夜な目をばっちりとあけたままベッドに横たわり、天井とその上の天空に向かって、沈没船から証拠を発見できるならどんなことでもします、アイデアが浮かぶなら人助けをします、自分の知識を分けあたえます、見通しが得られるなら生死をかけてUボートのなかにはいりますと祈った。 ュ1ガたち友人は、「すこし休んだほうがいい。
最高のレック・ダイパーが一生かけてなしとげる以上のことを、あんたは去年一年でやったんだから」と彼をなぐさめたまったく先の見えない最悪の時期に、「やめる」という考えがふと浮かんだ。 チャタトンは、〈UWho〉のずたずたの発令所を見るという経験をしないままビームーゲルザを買いにいったり、車でドライブに行ったりするときのことを、また、どんな自分になりたいのかと悩むことのない自分を想像した。

そう空想するといつも一瞬だけ気持ちが軽くなるのだが、最後にはかならず考えてしまう。 「ものごとが簡単に運ぶうちは、ひとは自分のことをほんとうにはわからない。
ほんとうの姿が現われるのは、いちばんつらく苦しいときの人間の行動だ。 そのときがこないまま一生を終えるひともいる。
おれにとって〈Uーwho〉がその試練のときだ。 いまおれがしていることが、すなわちおれの姿だヘそこまで考えぬいて、「やめる」という考えを断ち切ると、デスクについてホーレンブルクのナイフを前に置き、つぎに行く〈Uーwho〉の場所のスケッチをしはじめるのだった。
試練のときフェリシアと別居したコーラーに、ダイビングの誘いがかかるようになった。 最初はチャタトンからだった。
そのシーズン中ずっと、友人たちにいうことになるセリフを、彼はチャタトンにいった。 「潜れないよ。
体力的にも精神的にも無理だ。 頭がついていかない。
こんなんじゃ死んでしまう」一九九五年のシーズンがすぎるなか、コーラーはひたすら父親業と商売に専念した。

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